日常のささやき

日常にあふれている芸能・スポーツ・アニメ・漫画・ゲーム・ご当地ネタなどのトレンド情報を紹介していきます。

真田信繁が幸村となった由来と本名は?家紋の意味や強さは?

   

NHK大河ドラマ「真田丸」の主人公真田信繁について疑問を持ったので調べてみました。歴史通はご存知かと思いますが、真田信繁は現世では真田幸村として名を残しています。

何故真田信繁ではなく幸村が世間一般的に普及したのか由来や真田幸村の家紋の意味や強さなど大河ドラマ主人公となる真田信繁の生涯について紹介していきます。

スポンサードリンク

真田信繁(幸村)とは?

真田信繁(幸村)が誕生したのは永禄10(1567)年に真田昌幸の次男として生まれたとされています。

本名は、「真田信繁」と言いますが今では「幸村」が一般的になっています。

真田幸村の由来は?

真田信繁が生前の史料には「幸村」という表記は一切なく幸村が活躍した大坂の陣以降に広まったとされています。

元々は幸村と名乗ったことはなく、真田幸村が没した後、軍記物語が由来で徳川家康に果敢に挑む英雄的武将として語られるようになり、庶民にも広く知られる存在となりました。

軍記物語「難波戦記」が真田幸村として広めた由来とされています。また、兄・信之の子孫が代々藩主を務めた松代藩の正史によっては「真田信繁」ではなく「真田幸村」が採用されています。

家紋意味は?

六連銭(六文銭)は、「あの世でお金に困らないように」や「三途の川の渡し賃」として表されていると言われています。
仏法のために身命をささげて惜しまないことを意味するといわれています。

真田幸村の簡単生い立ち

1567年 真田昌幸の次男として生まれたとされる 1570年誕生という一説もあり

1582年 主家・武田家滅亡

1585年 昌幸が上杉景勝と同盟を組む 幸村は景勝に人質として送られる

1590年 昌幸が羽柴秀吉と同盟を組む 幸村は人質として大阪城に移る  小田原城征伐に参戦

1600年 第二次上田城の戦いで、徳川秀忠を破る 関が原の戦いにて敗北 紀伊国にある九度山に配流

1611年 昌幸が病没

1614年 大阪城に入城 大阪城玉造口に真田丸を築く 大坂・冬の陣開戦 幸村、真田丸にて徳川軍を退ける

1615年 大坂・夏の陣開戦  家康の本陣へ突入、討死する

真田幸村の強さは?

戦略・戦術に長けていました。また人の心をつかむことや戦意を盛り上げることが上手く非常にカリスマ性があったと言えます。
真田丸の戦いなどでも敵対勢力に対して圧倒的不利と思われる兵力の違いがあったにもかかわらず戦果を治めたことから戦いの戦略や戦闘する者として非常に優れていることが分かるかと思います。

幸村の史実の大半が敵対していた徳川幕府側の史実で述べられています。いかに徳川家にとって真田幸村の強さが脅威だったかは史実からも読み取れるかと思います。

最後に

真田幸村の簡単な生涯や家紋の由来などを紹介してみました。
真田丸とは?戦いが行われた場所の跡地には何があるの?

スポンサードリンク

 - 都市伝説・雑学・生活の知恵, 観光・お出かけ・ご当地